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深作欣二監督版『浪人街』はなぜできなかったのか…幻の作品をめぐり貴重な証言が次々と飛び出したトークイベント

2019年10月19日(土) レポート

10月19日(土)、京都シネマでは『浪人街・予告編 ~1976年夏 東映京都撮影所~』が上映されました。昭和3年に公開され、その年の『キネマ旬報』ベスト1に輝いた『浪人街』。
マキノ雅弘監督、山上伊太郎脚本のこの名作の再映画化運動が、昭和51年の『キネマ旬報』誌上で持ち上がりました。本作品は当時、その運動に関わった映画人を東映京都撮影所でインタビュー・構成した8ミリのドキュメンタリー映画です。

高岩淡、赤塚滋、千葉真一、川谷拓三、ピラニア軍団、志賀勝、中島貞夫、竹中労、マキノ雅弘、深作欣二と錚々たる顔ぶれが登場する本作。貴重なフィルムの上映とあって、多くの映画ファンが駆け付けました。上映後には深作健太さん、中島貞夫さん、奥山和由さん、そして本作を撮影された伊藤信幸監督が登壇。奥山さんの進行の元、今だからこそ聞ける話や、深作欣二監督の素顔が知られる、とっておきのエピソードを堪能しました。

「こんなフィルムが存在するとは知らなかった」と驚きの声を上げる中島監督。当時、大学生だった伊藤監督が撮影、再編集して完成に至りました。奥山さんが深作欣二さんとお会いしたのもちょうどこの頃で、「深作監督はかっこよかった」と懐かしそうに振り返りました。若かりし頃の中島監督の姿もあり「アンパンマンみたいでかわいいですね」と奥山さん。中島監督いわく、色気の塊のような深作欣二監督に比べると「我々は京都スタイルで泥くさかった」そうです。

深作欣二監督のご子息、深作健太さんは「父が『浪人街』を関わっていたことを知りませんでした。当時、90年の時に映画館に一緒に観に行ったんですけど、こんな話はしていませんでした」と驚きを隠せない様子でした。奥山さんによれば私生活が全く見えてこなかった欣二監督。健太さんが「家ではとても優しい人で、映画のことしかなかった。趣味もありませんでしたので」と話すと、「そうだったんだね」と中島監督、懐かしそうな表情を浮かべました。

奥山さんは「これだけキャラが立った人がいるのに、ちゃんと束ねて、うまくまとめられている」と伊藤監督の編集手腕にも改めて感心したと絶賛。深作欣二監督が元気なお姿もあるだけに、3、40年前に戻ったような感覚にもなったと続けられました。日本映画を支えてきた偉人たちの、まさに熱い季節を閉じ込めたフィルム。「こんなに熱気が伝わってくるドキュメンタリーは初めてです」と声を弾ませました。

トークテーマは「なぜ深作欣二監督版の『浪人街』はできなかったのか」へ。「それは中島監督にぜひお聞きしたいところ」とリクエストする伊藤監督。中島監督は、紆余曲折あった日々をまるで昨日の出来事のように生き生きと語られました。

「この話が浮かんだ時、“お前やってくれよ”と竹中労さんたちに言われて。作さん(深作欣二監督)も乗る気だったので、軽い気持ちで受けたんです。そしたら最後の方は重くなって、修羅場がやってきたんです。竹中氏に電話で激高したりね。京都の評論家の滝沢一さんの情熱みたいなものも受け止めて、その関連の中で何とかこの作品を成功させようと思ったんですね」と中島監督。そのうち、話は空中分解に。

中島監督が続けます。「はっきり言うと、きれいごとじゃなくて、裏はどす黒くて戦いの連続だった(笑)。この始末は最終的に、作さんとは二人で旅館にこもって、お正月休みも飛ばして、二人でなんとかシナリオを作り上げて、このなかでシナリオができたと言われていますが、できていないんですよ。できたころにはこの話が終わっちゃって。それでけりをつけないといけないということで、二人で書き上げて『キネマ旬報』に載せて、それで終わりになったんです。このドキュメンタリーを撮ってから1年後ぐらいかな。実現しなかった一番の理由は、脚本家の笠原和夫さんがどうしても書けなかった。最後は修羅場になりました」と事の顛末を明かされました。なお、『キネマ旬報』のバックナンバーを探せば、脚本も読めるかもしれないとのことです。

映画化されることはなかった深作欣二監督版『浪人街』。奥山さんは健太さんに「お父さまの遺言だと思って…」と熱く迫ります。そして、「このドキュメンタリーは当時の空気を閉じ込めたすごく貴重なフィルムです。みんな生き生きしていて、ここで俺たちがやらなくて誰がやるんだという勢いで、伊藤さんがそういうところをピックアップされたと思うんですけど、同じ思いを持った仲間がいたんだなと思いましたね。今、こういう人が映画界にいると浮きますよね。竹中労さんの言っていることもめちゃくちゃだなと思うんですけど(笑)、引っかきまわすような方も必要だと思う」と奥山さん。

中島さんや健太さんから次々と飛び出す深作欣二監督のエピソードからは、映画人として、また家庭人として、近しい存在だからこそ見える人物像を知ることができ、とても貴重な体験となりました。登壇者それぞれが抱く『浪人街』、そして深作欣二監督への思い。舞台の演出も手掛ける健太さんは「今の若い人も捨てたものではありません。殺陣の技術もすばらしいので、いつか僕も映画に復帰したい」と意気込みを語られ、ますます最新版『浪人街』の実現に期待が募りました。

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